【車いすバドミントン男子】梶原大暉選手は元球児?wiki経歴まとめ

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22歳という若さで、パリパラリンピック車いすバドミントンの日本代表に選出されている梶原大暉選手。2021年東京パラリンピックでも金メダルを獲得し大きな話題となりました。今回は梶原選手の中学校や高校、車いすバドミントンに転身したきっかけ等についてまとめていきたいと思います。

梶原選手のwikiプロフィール

はじめに梶原選手のプロフィールを紹介します。

  • 名前 梶原大暉 / かじわら だいき
  • 生年月日 2001年11月13日
  • 年齢 22歳(2024年9月1日現在)
  • 出身 福岡県福岡市
  • 所属 ダイハツ工業
  • 障害の重さ WH-2
  • 趣味 音楽を聞くこと

梶原選手の経歴

経歴
2010年小学3年生で野球を始める
筑紫丘ファイターズ所属
2014年市立三宅中学校へ入学
福岡ベースボールクラブ所属
2015年交通事故で右足の膝下を失う
2017年市立福翔高校へ入学
パラバドミントンを始める
TEAM SHUTTLE-ONE所属
2020年日本体育大学 児童スポーツ教育学部へ入学
2021年東京パラリンピック金メダル獲得
2024年ダイハツ工業へ入社
パリパラリンピック日本代表

梶原選手は長く野球をしていて、バドミントンを始めたのは2017年ですから、競技を始めてわずか5年でオリンピックの日本代表になり金メダルを獲得したことになります。とてつもないスピードですね。

プロ野球選手を目指していた

梶原選手は小学3年生で野球を始め、「筑紫丘ファイターズ」というクラブチーム2所属します。中学校に進学すると 軟式野球チームの強豪「福岡ベースボールクラブ」に所属しておりポジションはピッチャーでした。将来の夢はプロ野球選手だったといいます。 

事故の原因

中学2年生の夏、全国大会の前日、自宅から野球チームの練習場所へ向かっていた際、トラックにひかれる交通事故に遭ってしまいます。この事故で右足の膝太ももから下を切断、左足にも麻痺が残ってしまいました。当時の状況を「気づいたらトラックの下にいた」と梶原選手は話しています。

色々な競技を摸索する中、たまたま自宅の近くにあった体育館で、パラバドミントンチーム「TEAM SHUTTLE-ONE」と出会います。そこで見た車椅子の操作(チェアワーク)に一目惚れし、パラバドミントンに挑戦することを決めたそうです。

これまでの成績

梶原選手の主な成績を紹介します。様々な世界大会で優勝を飾る姿は、今現在応援している観客にも、これからパラバドミントン選手として活躍する選手たちにも勇気を与えてくれます。

2019年 デンマーク国際大会(オーデンセ)

  • 男子シングルス 優勝
  • 男子ダブルス 優勝

2019年 ヒューリック・ダイハツJAPANパラバドミントン国際大会 

  • 男子シングルス 3位 
  • 男子ダブルス 3位

2021年 東京パラリンピック

  • 男子シングルス 優勝
  • 男子ダブルス 3位

2022年 ヒューリック・ダイハツ BWF パラバドミントン世界選手権

  • 男子シングルス 優勝

2022年 杭州アジアパラ競技大会

  • 男子シングルス 優勝

2024年 BWFパラバドミントン世界選手権

  • 男子シングルス 優勝(大会2連覇)

梶原選手は「車いすテニスの国枝慎吾さんのような第一人者になりたい」と目標を掲げています。パリパラリンピックでの活躍に期待が膨らみますね。

ここまで読んで下さりありがとうございました!

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